アレクサンダーワークと私 1(2へ)
出会い
『心のことであれ 魂のことであれ、総て筋肉の緊張に翻訳される』
偶然に見つけた案内のチラシに在ったその言葉に惹かれ、95年の夏、初めて
ブルース・ファートマン先生のワークショップに参加した。アレクサンダー・ワークに
ついての予備知識は、僅かだった。参加を決めたことを濱野佳世さんに告げると、『アレクサンダーと私』を貸してくれた。
(当時はカウンセリングと瞑想のお友達である佳世さんと石川雅世さんにボランティアで家事を手伝ってもらっていた。
手が不自由になり野菜を切ることが出来ず、お掃除も出来なかった。今は、ほとんどのことは、なんとか一人で出来る)。どういうことをするのか、全く分からなかったが「悪いところのある人が、治ってしまう訳ではないけれど、残された機能を充分に活かし、かなり自然な動きが出来るようになるものらしい」と思った。
88年に頸椎症が悪化、体中のあちこちの痛み、手脚の痺れ、めまい等の症状で、整形外科の理学療法を初め、
数々の治療を試みたが、思わしい効果は得られなかった。鍼は、私には合っていたようでかなり効いたが、
治療が終わりベットに起き上がったとたんに、痛みの大部分が戻った。また、顔を洗うといった日常の何気ない動作でも、激痛が逆戻りすることもあった。もう少し何か違った方法はないか、と探していた矢先、アレクサンダ−・ワークに出 会った。
超能力?
ワークショップ一日目、頭の動きについての簡単な説明があった。その後、初参加の人は先生のところに集まるように
言われ、一人ずつワークを受けた。それまでに受けたどんな治療でも味わったことのない不思議な感覚を体験し、驚いた。
胸や背中の硬さが緩み、痛みが軽くなり、楽に呼吸が出来た。二日目のワークでは、急に10?程も背が伸びたような
感じがした。他の参加者のアクティヴビティを見ていると、動き方が突然変わり、やはり不思議だった。私はスケッチブックと
鉛筆を持参していたので、少しデッサンをした。先生に、「どうですか?」と聞かれ(勿論、通訳つき)
いつも一人で描いているので、人が居ると緊張することを告げると、「誰からもじゃまされない自分だけの空間を
作っていくことですね」と言われ、凄く納得がいった。続いて、座り方にワークされた。「脚に力が入っている」
と言われたが、全く自覚が無かったので、そう言った。しかし先生のワークを受けると両脚の力が抜けた。
まるで魔法のような気がした。超能力か?とも思ったが解剖学的な話もあり、誰もが学べると聞き、興味が増した。
個人レッスン
ワークショップの終わり近くに新海みどりさんが声をかけて下さり、12回の個人レッスンを受けることになった。
最初のうちは週2回、半分過ぎた頃から週1回だったと思う。松ノ木団地に通った。ライダウンが主だったが、
とても心地良く、ワーク後には楽しくなるので、色んな人に話した。山本久美さんが興味を持ち、
何度か一緒にレッスンを受けに行った。その時、久美さんの写してくれた写真が、残っている。
私は写真が苦手なので、緊張していることを差し引いたとしても、表情も体も、いかにも硬い。
O脚の隙間は、今より相当に広い。O脚は、見た目は良くないけれど、痛みもないので、あまり気にしていなかった。
変わるものだとも思っていなかった。
最初の変化
みどりさんの個人レッスンを受けるようになって間もなく、一つの変化があった。
住まいの近くの、通りに面した三階建ての家の屋上に、瓢箪が蔓を伸ばし繁っている
のを見つけた。京都へ来て、8回目の夏の終わりだったが、それまで一度も気づいた
ことがなかった。子供の頃から対人恐怖で、誰とも目が合わないように、下を向いて
歩くのが癖だった。その目線が変わったことを知った。それからは気をつけている
と、毎夏、屋上には瓢箪が育っている。
思い込み
アレクサンダー・ワークとの出会いについては思い込みがある。初めてのワーク
ショップの時、関西セミナーハウスに泊まった。その頃は首や背中の痛みで、乗り物
に乗ると振動がひびいてとても辛い状態だったので、通う元気はなかった。
二日目の朝、同室の林いこいさん達と散歩した。きらら坂と言う所があり、木の
立て札があった。難しい漢字が多く、あまり読めなかったが、親鸞聖人縁の地という
ようなことが書かれていた。私は親鸞聖人の教えに生かされている者だ。他の人に気
付かれると恥ずかしいので、そっと立て札に合掌してきた。
帰ってからも、きらら坂の景色のことが気になっていた。そして、子供の頃から繰
り返し見た夢の中に出て来る場所に、よく似ていると気づいた。急な山坂の横に川が
流れている。その川は、せせらぎではなく、水が勢いよく吹き出て来る感じだった。
きらら坂に沿った川には、瀧と砂防ダムがあった。私は夢の中で、その急な坂道を、
どうしても行かねばならない気がして歩き始めるのだが、いつも迷った。迷ってどう
したらいいか判らなくなって目が覚めていた。
ワークショップの数日後、仏教の師に会う機会があり、きらら坂のことを質問して
みた。親鸞聖人が、比叡山から六角堂へ百日間の参籠(さんろう)の時に通られた道
ということだった。「私が無理に行かなくても、親鸞聖人が既に通っていて下さった
道なんだ」と思った。アレクサンダー・ワークには、親鸞聖人と仏様が出会わせて下
さったのだから私にとって必ずいいものに違いないと、思い込むことに決めた。関係
妄想でも何でもいい、と思った。
“出会い”まで
アレクサンダー・ワーク(以下、AWと略)に出会った時は、47才になっていた。
AWを知ったことは、私の人生にとって、二度目の大きな転機となった(一度目は、仏
教に出会った時)小学校の6年で、学校へ行けなくなって以来、神経症や心身症のた
め、40才まで引きこもり、半引きこもりだった。鬱傾向が続き、死ぬことばかり考
えていた。38才で仏教による救いを体験し、人生が変わってきた。カウンセリング
と仏教を学ぶため、九州から上洛した。満40才の時だ。働きながら学んでいたが、
すぐに頸椎症が悪化し日常生活も不自由になった。
首の骨は、その二年半前、スッカリ落ち込み、混乱し、絶望して、ただ夢中になっ
て庭掃除をしていて、激しく転倒した時、ズレたようだ。痛みのため、外科で検査も
受けたが、悪い部分は判らなかった。働くようになって、手も首も動かなくなり、
京都の大きい病院を受診し、やっと見つかった。
痛みは、軽くなったとは言え、今もある。だが、AWに出会うために、必要があって
痛みを与えられたのではないか、という気もしている。違うかもしれないけれど…。
2度目のワークショップ
96年3月に、マリフランソワズ・ルフォル先生のワークショップがあり、参加し
た。私は毎年、冬の終わりから春の初め頃には鬱がひどくなる。1月と2月頃にも、
別の先生のワ−クショップがあって申し込んだものの、参加する元気がなく、キャン
セルした。3月になって、やっと行けた。土曜日の午後、『刺激に対する反応の仕方
を変える』という講義だった。私は鬱がひどくなると「死ぬしかない」と考える癖が
ある。が、結局は死ねず、さらに落ち込み、同じ所をグルグル回る感じで、なかなか
抜け出せない。これまで、どんなにひどい鬱も、毎回なんとか治ったので、「焦って
もしょうがない。しばらく落ち込んでいよう」と思えるようになり、少し楽になっ
た。だが時間がかかっていた。講義を聞いて「落ち込むという刺激に対して、死ぬし
かないと考えるのを止めるんだなぁ」と分かった。痛みに関しても、私のような経歴
では治っても仕事があるかどうか分からない(京都へ来たばかりの頃は、龍谷大学の
清掃の仕事をしていたけれど、あまりに疲れたので、同じ仕事は無理な気がしてい
た)という不安から、痛みにしがみついていたのではないか、という気がした。ワー
クショップの終わりに、全体での話し合いになり、そのことを言った。先生は「痛み
を手放す準備が出来ていますか?」と聞かれた。「よく分かりません。でも、目の前
が一面厚い壁だったけれど、その壁に割れ目が出来た感じです」と答えると「痛みよ
りもあなたのほうが大事です」と言われた。思わず涙が出た。心に響く言葉だった。
トラウマ
マリフランソワズ・ルフォル先生のワークショップの後、また週一回の個人レッス
ンを、みどりさんにお願いした。ある日のテーブルワークの途中、父に首を絞められ
たことを思い出した。12才で学校へ行けなくなって間もなくのことだった。怒った
父が、私の首を絞めて持ち上げた。一瞬足が浮いた。母が、あわてて止めたので、父
はすぐ手を放した。その時のことはよく覚えているし、カウンセリングでも話して、
済んだことと思っていた。なのに何故か、ふいに思い出し、とても気になった。みど
りさんに言うと「そんな経験があるんだったら、アレクサンダーは嫌じゃないですか
?」と、言われた。「べつに何ともないと、思ってたんですけど、あるのかなぁとい
う気もしてきた」と答えたが、実感はなかった。首を絞められたという事実はよく覚
えているのに、そのことに伴う感情的なことが、何もないのは何故だろうと、気に
なったが、その後数ヶ月分からなかった。
96年は、外国の先生の来日が多かった。キャシー・マデン先生やヘズィ・アイ
シャイン先生、ロビン・ギルモア先生が一緒に教えて下さったワークショップに参加
し、首が軽く動く心地良さを、何度も味わった。ブルース先生のワークショップは9
7年の冬に、2度目の参加をした一年半ぶりくらいの再会だったのに私のことを覚え
ていて下さったことと、”I rememmber you.”が聞きとれたことがとても嬉しかっ
た。
ローザさんとセルジュさん
春頃、スイス人のローザルイザ・ロッシ先生とセルジュ先生(正式の名前は知りま
せん)が、続いて来日され、個人レッスンを申し込んだ。お二人とも、一度も会った
ことのない先生で、緊張した。ローザさんの一回目のレッスンでは、とても優しくし
てもらえた感じで、いきなり泣いた。二回目には、まさしく心と体が一つになる感じ
がして、「ああこれが自分なんだ」と生まれて初めて実感できて、また少し涙が出
た。先生は「お帰りなさい」と、言って下さった。
セルジュさんは背の高い男の人だった。一回目は先生も椅子に座ってワークして
下さった。細胞も素粒子も、常に動き続けているというような話をして下さった。二
回目、先生が立ってワークしようとされ、その手が近付いて来た時、突然に恐怖で一
杯になった。あわてて「止めて下さい。ちょっと待って下さい」と叫んだ。ゆめ子さ
んが通訳をして下さっていた。首を絞められた時に、怖かったし、深く傷ついていた
ことに初めて気づいた瞬間だった。その話をすると、先生は、優しく共感的に聞いて
下さった。しばらくして落ち着いたので、ワークの続きを受けた。手が近付く時、少
し怖かったが耐えられたし、先生の手が触れてしまうと、もう大丈夫だった。頭がボ
ンヤリした感じで何も考えられなかった。窓の外は暗くなり、街灯に照らされ風に揺
れる木の葉を見ていた。どこからか、物売りの声が繰り返し聞こえてきた。空っぽに
なり“今・ここ”を充分味わえた時だっだ。
父も背が高かった。12才の私と30cm程の差があった。椅子に座った私とたってワークされる
先生の身長差も、そのくらいだった。そんな条件が揃ったことと、気
づくための心の準備が出来ていたのだろう。事件から37年目の春の終わりだった。
それまで父の行為は、愛情あればこそだ、というふうにしか考えられなかった。学
校へ行かなかった私が悪いのであって、父は悪くないと、思っていた。ただ、世界中
の男の人が、みんな憎いような気持ちがあり、父が怖い人だったからだろうと、漠然
と感じていたが、納得は出来ていなかった。亡くなる前の父は、優しくなり、誰より
も私を理解してくれた。それに私が心配をかけたから病気になり、早く死んだのだろ
うという罪の意識もあったため、父を憎みきれていなかった。本来、父へ向けるべき
怒り憎しみが、世の中の男性全部に、すり替わっていた。
その後も色んなトラウマに気づくことがある。幼少期のトラウマは、本当に一生を
左右するもののようだ。気づかず、無意識の世界に貯えていると、原因不明の病気に
なったり、種々の問題行動になる。そんな、知識としてだけ知っていた事が、AWに出
会って次々と実感を伴い解明されて行く。
痛み
痛みを我慢するため、体中のあちらこちらに力を入れている。個人レッスンで力が
抜けると、痛みが増すことがある。でも、無意識にしていることなので、改めて力を
入れようとしても出来ない。そんな時は、長年通っていた鍼に行った。鍼だけで治す
ことを考えていた頃より、ずっと効果があった。この二、三年は、鍼より、ワークを
受けるほうが痛みも軽くなるので、行っていない。日常生活に気をつければ、痛みが
増すこともないだろうが、我を忘れて興味のあることに熱中するという古い習慣のた
め、しばしば失敗する。特に、本を読むこと、字を書くことが難しい。これを書いて
いる今もそうだ。もっと学ぶ必要を感じている。とは言えAWを知らなかった頃とは、
比べものにならない程、楽になってきているのは確かだ。
フォーカシング
父への怒りや憎悪の感情を処理する必要を感じ、白岩紘子先生(東京フォーカシン
グ研)の宿泊研修会に行った。毎年、春と秋に関西の方へ先生が来られ、研修会があ
る。私がフォーカシングを知ったのは89年だ。増井武士先生(九州産業医科大学、
Ph.Dr.)に少し学び、ずいぶん楽になったので、辛い時や困った事に直面した時に
は、ひとりでやっていた。問題に対する見方が、少し変わるだけで、心身共に楽にな
る。
白岩先生は、始めに参加者同士で体ほぐしをしたり、時間もたっぷり取り、独特の
雰囲気でワークしてくださる。優しく穏やかな美しい声で言葉かけをしてくださるのも、
好きだ。声を聞いているだけで、落ち着き、自由になる。白岩先生の研修会には、そ
れまで過去10回程参加して、色んな面白い体験や気づきもあった。ちなみに、1回
目の参加では、母の胎内に戻り、生まれ直しの体験をした。
話を戻すと、97年のその時は、父とは全く違う感じの一人の参加者の方(元学校
教師というところは共通するが、定年退職後、ひきこもりの子の相談活動をしておら
れるベテラン)にリスナーをして頂き、まず、父の姿を思い浮かべた。微笑して、私
を見ている父が浮かんだ。一番優しい時の父の顔だった。そんな顔を見ていると、不
満も怒りも、「どうでもいい」気分になり、相変わらず父の望むいい子を演じ続ける
しかない。それでは今までと同じことになる。「そこを変えたい。どうすればいい…
?」と、しばらく自分を感じ続けていると、「やはり父を殺すしかない!」と思っ
た。心理療法では、イメージなどを用いて(時には道具も使い)、親を殺す儀式をす
ることがある。以前から、私も勧められていたが、あまり気が進まず、試みても成功
しなかった。だが、その時は本気で「殺すしかない」と思った。が、自分の心が恐ろ
しく、言葉にするには大きな抵抗があった。しばしの逡巡の後、言った。どんなふう
に殺したかは、全く覚えていない。ふと気付くと、閉じた瞼の裏に炎が見えた。炎の
向こうにはピラミッドがあった。父とのことが一区切りつき、その印として火が燃
え、ピラミッドは父の墓だと思った。すると真っ暗なトンネルの中に居る感じになっ
た。何も見えないが、先へ行くしかない気がして歩いていると、トンネルではなく、
暗い山道と分かった。何も考えず、ただ登って行くと頂上に着いた。遠くの空が、少
し明るみ始め、雲海が広がっていた。そして朝日が昇って来た。私は大きな太陽を見
ながら、疲労感と達成感を味わいつつ「万歳」をした。
ブルース先生の個人レッスン
ブルース先生の個人レッスンを初めて受けたのは、98年になってからだったと思
う。みどりさんに、一回受けることにしたと話すと、「今回は、申し込みも多く混ん
でるけど、受けられるの、よかったですね」と言われ、「はい」と答えて、よかった
と思っていない自分に気づいた。そして、予約の日が近付くにつれ、情緒不安定に
なって行った。前日も当日も、どうにも落ち着かず、キャンセルを考えた。先生に会
うことが、恐ろしかった。「優しく楽しい先生なのに、何が怖いんだろう?」と自問
してみた。やがて、先生と父をダブらせていたと、気づいた。父の優しい時に安心し
ていると、何かチョットした事で突然、猛烈に怒り出すことがあった。「先生はお父
さんじゃない。お父さんのように怖いことは言わない。言われたとしても、お父さん
に言われた程に気にする必要はないし、聞く必要もない」と、自分に言い聞かせて出
かけた。先生に会い、その話をすると、ホッと落ち着いた。千栄さんの通訳だった。
普段、何をしているか聞かれ、仏教とカウンセリングの勉強をしている、と答え
た。手が駄目になり働けなくなったから、カウンセリングなら言葉だけで出来るか
ら…、と続けると、「僕はカウンセリングに手も使います」と、先生が言われた。頭
の中に大きな「?」が浮かび、「カウンセリングに手を使う。手を使う」と、とっさ
にリピートしていた。
レッスンの終わり頃、先生の"You are very interesting. I like you."という言
葉が聞きとれた。他は、通訳してもらわねば、サッパリ分からなかった。後に山倉朋
子さんに、その話をしたら、「極楽耳ですね」と、笑っておられた。
その年のワークショップでは、「左手のほうが恐がっている」と言われ、父があの
時左側から来たことと関係ある気がした。帰って一人になると、体中に、まだ沢山の
恐怖が残っているのが分かった。でも、辛くはなかった。分かったことが嬉しかっ
た。気づいたからには、もっと変われるから。気づきは解決への第一歩だと、私は
思っている。
瞑想合宿
秋に、真宗カウンセリング研究会(西光義敞会長)の瞑想の会で合宿に行った。当
時、龍谷大学学生相談室のカウンセラーだった橋本久仁彦さん(現在はプレイバック
シアタープロデュース代表)の指導で、毎週一、二回瞑想会があった。時々は初めて
の参加者もあったが、ほとんどが常連で、気の合う仲間だった。私は長く研究会会員
だしみんなの中では年齢も上なので、橋本さんのアシスタントのようなことをしてい
た。
四国の美しい浜辺で、気の合う友人達と瞑想や散歩をして、とても楽しかった。夜
の浜、月光を浴びつつナタラジを踊ったり、暖かな午後、岩に座り波の音を聞いたり
して、思い切り変成意識状態を味わった。
楽しかったとは言え、遠くまで出かけたこともあり、ひどく疲れた。頸椎症からく
る痛みを庇って変な動き方をするため、腰や膝も悪くなっていたし、感情的に大きく
揺れると、すぐにお腹を壊す質なので、帰ると疲れ果てて寝ていた。腰痛、腹痛を感
じつつ、微熱でウトウトしていると、子供を産んだ夢を見た。どんなふうに産んだ
か、どんな子だったか、何も覚えていないが、フワッとした温かい赤ちゃんを抱い
て、喜んでいる夢だった。ずっと「子供が欲しい」と言う人の気持ちが、どうしても
理解できなかったけれど、その時は、本当に嬉しかった。以前、カウンセリングのお
友達に聞いた「自分と自分の愛した人の子供に会ってみたい」と、いう言葉が、理解
できた。その後、数日間は、嬉しい気持ちが続いた。自然に顔がほころび、何となく
ウキウキした。「え?何が嬉しいんだろ?そっか子供を産んだんだ」と、そんなこと
を繰り返していた。
10年程前には、赤ちゃんにお乳を上げている夢も見た。その時も、何とも言えず
満ち足りた幸せな気分だった。母と子の絆というようなものが、少し分かった気がし
た。自分が命を分け与えたとも言える実感は、女にとって大切なものだと思う。だか
ら“母は強し”なのかなぁ?