アレクサンダーワークと私 2 (1へ)
もっと学びたい
頸椎症の悪化に伴い、子供の頃からの持病である自律神経失調症も悪化した。自律神経失調症というのは、心理的な原因が大きいと聞き、以前は、「精神力が弱いか
ら、こんな病気になる。しっかりせねば」と、自分を責めていた。が、頸椎症の合併
症としても出てくる病気だと知って、ホッとした。「根性がないとか、精神力が弱い
せいではなく、とにかく病気なんだ。頑張り過ぎた疲れもある。ゆっくり休んでも
いい」と思えた。が、症状はすぐには消えなかった。眩暈、息切れ、発熱などで立ち
上がることさえも困難なことも、しばしばだった。また、風邪をひき易く、一度ひく
と、長びいた。将来のこと過去のことを、あれこれ考え思考が止まらなくなり、不眠も続いた。沢山の薬を飲み、なんとか凌いでいた。AWに出会い、年に一、二回のワー
クショップと、約週一回の個人レッスンで、すべての症状が、軽くなってきていた。
AWは治療ではなく教育と、言われるが、私にとっては、どんな治療より合ってい
た。整形外科でも「年だから(その時は40才)、治らんなぁ…」と言われ、
精神科医にも「生まれつきの神経過敏という体質だから、一生人より苦労が多いと
思うが、そういうものと、諦めなさい」とずっと以前に言われた。AWでは、心と体の
両方(分けられないけど)が元気になってきた。もっともっと学びたくなった。毎日
通えば、週一回よりも変われるし治るだろうと思った。トレーニングコースへ行って
みたくなった。一年だけでもいいから、行ってみたいと思った。しかし、いくら努力
してみても、私の力量では、授業料を捻出できそうになかった。数ヶ月迷い、母に相
談してみる決心をした。母にも、そんなお金があるかどうか、知らなかったし、反対
されるかもしれないと不安もあったが、駄目でもともと、と思い打ちあけた。母は予
想外にスンナリと、OKしてくれた。お金が足りなければ、親戚中から集めてでも、な
んとかするから、是非とも卒業まで行くように、と言ってくれた。「手が、どのくらい
使えるようになるか、分からないし、上手になれないかもしれない」と、言う私に、
それでもいいからと、勧めてくれた。母は九州で一人暮らしをしている。この数年
は、私が年に二回帰省し、心身共に元気になっていくのを見ていた。AWの素晴らしさ
楽しさも、帰る度に話していた。だから、賛成し、協力すると言ってくれたのだろう。
みどりさんに報告すると、大粒の涙を流し、私をシッカリ抱いて、喜んでくださっ
た。みどりさんのほうから、トレーニングコースのことを、私に言われたことは一度
も無かったけれど…。私にお金が無いことを知っておられたからだろう。
過換気
京都へ来てからは、過換気の発作も、度々起きていた。生まれて初めての遅い自
立で非常に不安定な精神状態だったから。ただ、病気についての知識はあったので、
それほど心配はしていなかった。死ぬ病気ではないし、死の問題は仏教で解決済みだ
から(阿弥陀仏の力で、生死を超えさせて頂いているから)死の恐怖もなかった。と
は言え、苦しいので、なんとか早く止めたいと、焦ったこともあった。が、スタニス
ラフ・グロフ氏のお話を聞きに行ったり、瞑想会で、ホロトロピック・ブリージング
を、少しやってみたりして、止めようとも思わなくなった。発作が起こるのは、ひど
く疲れた時や、鬱になったり考えすぎたりした後だ。落ち込んだり気にしたりしてい
る時、たいてい少し前屈し、動きが小さくなり、呼吸も浅くなる。体中の酸素が不足
がちになるから、過換気で補っているのかもしれないという気がした。それに、意図
的に過換気の状態をつくり出し、それが心理療法になるのなら、途中で止めるのは、
むしろ勿体ない気もした。必要があって、体が自然にブレスワークを始めたのだか
ら、やはり自然に止まるのを待つべきだと、思うようになった。私の場合は、真夜中
に急に息苦しくなる。発作の前、夢を見ていたかどうかは覚えていないが、いつも息
苦しくて目が覚め、数時間続く。やはり苦しいけれど、止まるまで待っていると、最
後のほうは、眠いのか酸素が多すぎるのか判らないが、朦朧としてくる。そして、や
はり話に聞いたブレスワークのように、美しい風景(何故か、私は「エーゲ海だ」と
思ってしまう)が見えたり、優しく介抱してくださる仏様のような人が見えたり、癒し
のヴィジョンが訪れる。幸せな気分になり、疲れもあって、終わると数時間、グッス
リ眠れる。が、最近では、ほとんど発作が起こらない。個人レッスンを受け続けるう
ちに、回数も減っていた。AWでは、自然に楽に深い呼吸が出来る。落ち込むことも少
なくなってきている。体が酸素不足になることも、あまり無いのではないか?そんな
気がしている。
腕に潜む怒り?
また、或る時の個人レッスンで、左手の捻れに、みどりさんのワークを受けてい
た。左側は、痛みが強く長年動かせなかったため、肩巾が狭く、握力がなく、肘も手
首も捻れていた(現在は、まだ肩巾は狭いままだが、かなり動く。力は、右手よりも
弱いものの、だいぶ、物が持てるようになってきた。捻れは、あまり分からない
くらいになってきている)。左腕全体の緊張が緩んだ時、無性に腹が立った。同時
に、昔の記憶が甦った。幼い頃母に叱られた思い出だ。その時も、自分にも悪いとこ
ろがあったせいだと納得していたつもりだったが、違っていた。怒りを抑圧していた
だけだったと、気づいた。
エニアグラム
私は自分の本当の感情に気づけないことがよくある。気づけても、相当時間が経ってからだ。特に怒りには気づき難い。怒りは、私には最も嫌な感情だ。自分の怒りも人の怒りも、不快であり、恐ろしい。非常に悪いものだと思ってきた。だから、
抑圧してしまったのだろう。また、成育歴の中で、喜怒哀楽すべてを、素直に表現す
ることを禁じられてきた。音に過敏な家族が多く、笑い声さえも低くせねばならないと、感じていた。親の怒りっぽい性格を見ているのも苦痛だった。さらには、怒りっぽい親から「怒るな」と叱られたし…。そんなことも関係していると思うが、4年程前、エニアグラムを知った。人間は、大きく分けて、9つの性格に分類される
というものだ。二千年の歴史があるらしい。私はタイプ5だった。何人もの研究家の何種類もの本で調べても、どうしてもタイプ5になる。5の特徴の一つに、感情や本当の気持ちに気づき難いというのがある。もともと、そう生まれついているらしい。
タイプ5は、『エニアグラムに一番興味を持つ』とも、あった。私には本当に面白
くて、家族や友人、知人など当てはめてみては、研究している。自分の性格で大嫌いだった所も、受け入れられるようになった。また、親しい人でも、どうしても理解出来なかった感じ方や考え方等の違いの訳が分かった。「生まれつき違うんだなぁ」と、思う
と、気が楽になる。いい悪いではなく、違うということが、改めて認識出来た。自分
も人も許せる部分が、増えた。非社交的な自分の性格が、大きな劣等感だったが、
『一人の時間を、ほかのどのタイプより楽しめ、一人でも退屈しない才能』と書いて
あり、嬉しかった。貧乏性でケチなところも、『少ないお金でやりくりする清貧の思想』と、あった。物は言いようで、こんなにも印象が変わる.私は40才まで、猫と
しか、まともに付き合えない引きこもりだったから、言葉の訓練が出来ていない。気をつけねば、と思うが、失敗ばかりしている。
「言葉があるから人間はイヤ。嘘をつくには便利だけれど、本当のことを伝えるに
は不便。私は猫としか、お友達にはならない」と、ずっと思っていた。でも人間をやめられない間は、言葉を上手に使いこなせる必要を痛感している。だけど、やっぱり
難しい。
レットゴー
アレクサンダーの先生の話を聞いていると、浄土真宗のお説教を聞いているような
気がする時がある“手放す”ということも、そうだ。「自分が解放されることを、自分で邪魔している。その邪魔していることをやめる(手放す)だけ。でも、どこでど
う邪魔しているかに、なかなか気付けない」そんな言葉は、真宗で言われる「自力を
捨てて絶対他力になる。他力のはたらきを、自力が邪魔しているから他力が入れな
い。でも、どこでどう邪魔してるか、自分でも分からない」という表現と、似ている。いつか、マリーさんのお話で、霊や魂の部分でもしている余分なことを、全
部抑制できれば、宇宙やハイヤーセルフと繋がれるのではないか、という意味のこと
があった。ブルース先生も、AWは本当の自分自身や宇宙と繋がる方法と、おっしゃっ
たことがあるーーと、私は思う。阿弥陀仏は、日本ではお釈迦様の姿に似た仏像とし
て表されることが多いが、本当は色も形もない光だと聞く。そして、宇宙の根本であ
り、密教の大日如来も阿弥陀如来も、究極のところでは、一つだと、言われる。AW
も仏教的なものを持っているのかもしれない。マリさん(マリフランソワズ先生)やブルース先生の個性と思
想なのかもしれないが…。
みどりさんのクラス
トレーニングコースに入る前の2年程、みどりさんが開いておられた少人数のクラ
スにも、よく行った。納谷衣美さんがアシスタントだった。納谷さんのお友達が二
程と、佳世さん雅世さん、晴子さん、それに私が主な生徒だった。気軽で楽しいクラ
スだった。納谷さんは、卒業のはるか以前から、落ち着いて上手で、優しかった。みどりさんも、今より気楽に教えておられた感じだ。あの楽しさがあったから、よけい
トレーニングコースへ行きたくなったのかもしれない。
ロビン・アバロン先生
98年の秋、雅世さんと二人でカッパのクラスを見学に
行った。その頃、雅世さんも私と一緒にカッパトレ−ニングコースに入ることを決めていた。
ロビン先生との初めての出会いはその時だ。アメリカ人にしては、かな
り小柄で可愛らしかった。元気で気さくな感じの人だった。よく通る話し声、明るい笑い声が魅力的だった。
朋子さんが、組み立て式の頭蓋骨の模型を持って来てお
られた。バラバラにすると、何が何だか、まるで分からない。だが、ロビン先生は、
一目で見分け、どの部分の骨かを、教えてくださった。腰のあたりのマッピングについ
ても、直接手を触れて教えてくださった。色んなことを、沢山知っておられる凄い人だ
と、思った。
毒
99年3月マリさんの個人レッスンを、2回受けた。申し込んだ頃から、私の中では何かのプロセスが始まっており、
落ち着かなかった。久しぶりの再会も嬉しく、興奮した。
初回は、3年前のワークショップで、大きな気づきがあった話をした。そして、刺激に対する反応の
仕方を変える方法を、幾つか教えてもらった。レッスン直後、ひどい風邪をひき、一
週間ダウンしていた。次のレッスン中も、咳が出て困った。先生に、病気とワークは
関係あるかどうか問われ、あるような気がすると、答えた。それから、その時の私の
最大の悩みについて話した。「早く社会に出て、働けるようになるべきだ、と思う
が、怖い」ということ。頸椎症の痛みや障害以上に、恐怖心が問題だった。先生は幾
つか質問をされた。父が、「何かをする時は(仕事や勉強など)、健康も命すらも犠
牲にする覚悟で頑張れ!やる気の無い者、能力の無い者は死ね!」という意味のこと
を、しばしば言っていたので、私は、とにかく頑張ったが、そんな価値観に従って生
きることに疲れた、と言った。マリさんは、少し怒ったような表情で、「その考えは
間違っています。毒です。それでは、あなたは死なねばならない。怖いのは当たり前
です」と、言われた。「ああ、そうか。健康や命を犠牲にすれば死ぬしかない。私
は、どっちにしても死なねばならないんだ」と、子供の頃から持ち続けていた考え方
の誤りに、初めて気づいた。
今思うと、危険な思想だ。私が生きることを考えら
れなくなったのも、当然だった。父は、そんな信念で自分自身を縛っていたから生き辛い人生だったのだ。全く余裕のない考え方だ。父は、いつも神経を尖らせていた。
そばに居るだけで緊張した。早くに病死したのも、そのせいだったかもしれない。
私は父の亡くなった年齢を、追い越してしまった。
恐怖−背中、脚
5月には、イムレさんのワークショップに参加した。私は頭皮全体を、強く緊張させている
のが、よく分かった。緩む度に、メガネがずり落ちた。
同年7月、キャシーさん
とジェレミーさんの三日間のワークショップも、あった。ゲームやアクティビティ
等、盛り沢山で、楽しかった。終わり近く、ジェレミーさんが背中にワークしてくだ
さった。緊張が取れ、軽くなった時、恐怖が襲った。“背筋も凍る恐怖”と、いう感じがした。翌日の個人レッスンでは、大腿部と膝で恐怖を感じた。足がすくみ、膝頭
が震えた。 余分な緊張がとれ、軽くなり楽になると恐怖心が出てきたのだ。“浮
く”恐怖だと思った。父が首を絞めた時、私の足は浮いた。それよりも、ずっと以
前、やはり怒った父が私の体を横抱きにして家の外へ出したことがある。3才ぐらい
だったと思う。その二回の経験が“浮く”恐怖心になっていると思った。
絵・「星空」
11年程前に、絵を描いた。小さな女の子が、星空を見上げている絵だ。描
きながら「寒い時だったけど、寒いと悲しくなるから暖かい時にしよう。一人じゃ淋
しくて可哀相だから、猫を居させて上げよう。暗いだけの空も嫌だから、星をイッパ
イ描こう」と、思っている自分があった。「あの時の私は、悲しくて、淋しくて、可
哀相だったんだ」と、分かった。カウンセリングの個人面談で、そのことを話し、共
感的、肯定的に聞いてもらえて、一応は済んでいたことだったが−。
外へ出される直前は、父の布団で一緒に寝ていた。父は通常姉と寝ており、覚えている限りで
は、父と寝るのは初めてだった。父が、「お父さんのことを好きか?」と、聞いた。
父は怒りっぽく怖かったから、母の方が好きだった。それを正直に言った。父は、と
たんにカッとなり、私を抱え上げ、窓から外に出した。「思っていることを、そのまま言っては駄目なんだ」とシッカリ学習した。後は、ポカンとして夜空を見ていた。
少し酔っていた父が眠ると、母が中に入れてくれた。
家の外に出されたことも、忘れられない出来事として、気にかかっていた。
父と猫の夢
ワークショップの後で、片桐先生と典子さんに、ニューズレターに載せる感想文を頼まれて
いた。浮く恐怖について書くしかない気がした。首を硬くし、体に不必要な緊張を作
り出すのは『恐怖に対する反射だ』というのが、AWの常識だ。私の経験は、その常識
通りだ。しかし、浮く恐怖のことを書けば、父のした事も書く必要があるだろう。そ
れまで、父のことは、カウンセリング関係の一部の人にしか話したことはなかった。秘密に
しておきたかった。何日か、考え迷った。が、次第に知られてもいいような気がして
きた。書けば、また区切りがついて、先へ進めそうだ、とも思った。決心し、短い文
章を書いた。短いのに、書き上げるまで一ヶ月かかった。典子さんに郵送し、疲れて
昼寝をした。書き上げる前の二、三日は、あまり眠れなかったので、だいぶ眠ったと
思う。
父が私の左側に添い寝をしている夢を見た。ちょうど、あの夜と同じように…。私は3才の頃に戻ってしまい、幸せな気分だった。「わぁ、これは夢かしら
?」と、両手で父の体に触れてみた。体温と鼓動が伝わってきた。私は安心して眠り
続けた。しばらくして父が起き上がり、向こうへ行った。次に白い猫がゴロゴロと喉
を鳴らして近付いて来た。そして私の肩、首、頬などに体を擦り寄せ、やがて父と同
じ方向へ去って行った。白い猫は、我が家で飼っていた猫だ。不治の病と聞き、私の
決断で安楽死させてもらった。それは、深い心の傷だった。思い出すのさえ、耐えら
れないようなことだった。親子関係は、或る程度は、お互い様のところが有ると思う
けれど、猫に対しては、私が一方的に加害者だ。その猫と父が和解に来てくれたよう
だった。目が覚めて気がつくと、その日は父の34年目の命日の一日前だった。
カッパ(KAPPA)
99年9月、カッパ4のトレーニングコースが始まった。それ
までに、カウンセリングのお友達である佳世さん、晴子さん、久美さんも一緒に勉強
することを決めており、同期生になった。みんな5〜10年来の知り合いで、気心の
知れた人達だ。心強かった。
最初の4週間は、ローザさんのクラスだった。ロー
ザさんは、私のことを、よく覚えていてくださった。
勉強は、とても面白かった。
初めて知ることが、ほとんどでワクワクした。自分を窮屈にする古い習慣を箱に例え
られ、習慣をやめ、箱から出て考える−という表現は、興味深かった。思考も感情も
動きである、という捉え方は、新鮮に感じた。『自分を大切にする。人間の潜在力を
信じる。』は、カウンセリングでも繰り返し学んだことだ。だが、身についたとは言
えなかった。特に自分の中の潜在力は信じきれていなかったし、具体的にどうすれ
ば、自分を大切にできるのか、も分かっていなかった。自分に優しくなることが、何
より大事と、分かった。自分を許し受け入れられるようにならねば、本当の意味で、
人にも優しくなれない−のは、やはり一応は知識として、知っていたが、長い年月、
自分を責め、罰するばかりだったから、優しくするのも、難しい。入学以来、現在ま
で取り組んでいるが、次から次へと自己否定的な考えが出て来る。古い習慣は、思考
の隅々の細かい所まで浸透している。以前は、それに全く気づけていなかったのだか
ら、生きるのが大変だった訳だ。
人生とAW
AWは、人生そのものであり、AWは、本来楽しいものといわれる。ということは人生は本来楽しいもの、いうことにな
る。“本来”と、付いているのが、鍵だろう。AWは、学び続けるうちに、辛い時もあ
る。難しくて困ったり、トラウマに気づいたために苦しかったりだ。先生や先輩達のアドバイスに、ひどく傷ついたり、何故かイライラしてしまうこともある。が、難しくて出来なかったことが、突然に易しくなったり、苦しい気づきはやがて喜びに変わっていく。
最近では出来てない所を指摘されても、全く平気になってしまった。
人生は、確かに私が思っていたより、楽しいことが多いようだ。仏教では、この世は一
切皆苦(いっさいかいく)という言い方もある一方で、『苦楽相半ばする人間界』と
も言われる。人間苦を超越した仏陀から見て、一切皆苦なのかもしれない。人間界の
もう一つ上の天上界までもが、迷いの世界(六道)に入っているのだから、どんな喜
びも夢幻とも言えるだろう。だが、人間として生きていくからには、幻でもいいか
ら、楽しいほうがいい。また、“迷う能力”も必要だ。思い込みが強過ぎると、やや
こしくなる。
プレスクール
様々の事情から、カッパは9月で閉校になった。
10月・11月の7週間はアライアンスのプレスクールとして、みどりさんを中心とした日本の先生達の授業だった。通訳に要する時間が無いぶん、沢山のことを学べ
た。日本の若い先輩達は頼もしかった。少人数で、しかも気の合う友人達と、学びたいことを学ぶ喜びで、いっぱいだった。「こんな学校が、日本中に増えたら、どんな
にいいだろう。少しでも多くの人が学ぶ喜びを知れたら、素晴らしいのに」と毎日
思っていた。
アライアンス開校
2000年1月、アレクサンダーアライアン
ス日本・京都校がスタートした。新しい綺麗な部屋も見つかり、新入生も二人あっ
た。一人は、雅世さんの長男・裕樹さん(もう一人は、中退された)。親子が共に学ぶというのは、まだ、世界で
前例がないそうだ。
最初の土・日はブルース先生
のワークショップだった(私の姪も参加した。今も興味はあるようだが、お金が無いから、私に「上手になって、ワークして」と言っている。子育ても忙しいようだ。)
その時も、色んな気づきがあった。先生のワークを受け、「ありがとうございまし
た」と頭を下げると、「御辞儀をするのはいいけれど、あなたはそのまま下を向く。
戻って来て。僕とあなたの身長差はそれ程無い。目線はもっと高くていい。」と、また顔を上げワークされた。日本の先生達も数多く参加しておられたので、何度もワー
クを受けた。それで首と頭のバランスが変わったためか、痛みが増した。翌日、クラ
スの一日目、泣きたくなるの程痛いのを我慢していた。始まって間もなく、ブルース
先生のワークを受け、次にみどりさんのワークを受けていると、我慢出来なくなり泣
き出した。痛みのせいではなく、昔に戻った感じだった。人前で泣くことには抵抗があるのに、そんなことを気にする余裕もなく、泣いてしまった。みどりさんに事務室
で思い切り泣いてもいいと言われ、授業に出ず、泣いていた。やはり、3才に戻った
感じだった(私はブルース先生を、お父さんにしていたから…。先生には何度も「僕
はお父さんじゃありません」と、強く抗議されたけれど。)しばらく泣いて、涙は止
まり、蛹になったようで、床に丸くなっていた。少しそのまま居ると、体が自然に動
き始め、殻から出て野口整体の活元運動のようになった。
9時近くになって、やっと落ち着き、教室へ戻った。先生の隣の椅子が空いており、私の上着が置いて
あったので、そこに座った。先生は満面の笑顔で「ここに来てくれたのは嬉しいけれ
ど、ここではあなたが見えない。授業中には、いつも僕の見えるところにいてくださ
い。それに視線が合うと、あなたはすぐに下を向く。僕が淋しい気持ちになる。必ず
僕の目を見ていてください」と、非常に厳しい注文をつけられた。正視恐怖の私は、人
と目を合わせるのも、人の顔を見るのも、大の苦手だ。が、初めてのワークショップ
以来、個人レッスン等でも、何回も「僕のほうを、ちゃんと見て」と、言われていた
ので、“苦手”を抑制し、見る決断をした。4週間は頑張ったが、とても疲れた。今
でも、よほど気合いを入れていないと、話しをしている相手の顔からも、目を逸らし
てしまう。失礼な態度に気分を害されるだろう、ということより、自分の恥ずかしさ
のほうが先にたってしまう。自分勝手な行為だ。反省しきりだが、誰の顔もちゃんと
見ると、考えただけでも、疲れる。時間をかけてやって行こう。
絵を描く
個人レッスンの時、星空を見る少女の絵を持って行き、泣いた訳を説明した。ほかにも
自分の気に入っている絵を何枚も持参して、見てもらった。先生も絵の好き
な人なので、喜んでくださった。
私の体験や夢やイメージを絵にしたものを見な
がら、「人に背を向け、飛んでいくことばかり考えてたのが分かる。今も、かなりグ
ランディングできてきてるけど、もっとしていく必要がある」とアドバイスされた。
クラスで、絵を描くアクティビティをするといい、とも言われた。
そして、その時が来た。壁に大きな紙を貼り、花瓶の花を描いた。最初は緊張して描けなかった。
先生が手を添えてくださった。やがて、音楽が聞こえダンスをする感じで、思い切り描
けた。楽しかった。描くことが、こんなにも好きだった、と改めて知った。
その夜は、帰ってからも描きたい思いが止められず、アライアンスのパンフレットを見な
がら、写っている人達のクロッキーを描いた。2・30分の間に10枚程描いた。マーサ先生
の絵は、自分でもよく描けたと思った。個人レッスンの時、おずおず差し出すと、喜
んで受け取ってくださった。そして、アメリカに持って帰られた。
オープニング・パーティ
少し時間が前後するが、オープニング・パーティは、ブルース先生に一
週間遅れて来日されたマーサ先生を迎えて、華やかだった。参加者全員が一品持ちよ
りだった。南瓜を丸ごと蒸し煮にした物(私は南瓜の姿煮と呼んでいた)を持って
行った。手が不自由になり、野菜類をほとんど切ることが出来ない時、何もかも丸ご
と煮ていた。その頃は、少しは切れるようになっていたが、南瓜は無理だった。朱美
さんがケーキのように綺麗に切り分けてくださり、おいしい南瓜だったので、みんなに喜んでもらえた。みどりさんが、それを見て、「そのうち切れるようになるんじゃ
ないですか」と言われた。私は半信半疑だった。しかし、それから二年半後のこの
夏、切れた。そして秋になり、冬になり取り立ての物だけでなく少し硬くなった物ま
で切れた。信じられないようなことが、次々に起こる。
実験?
通学途中、地下鉄の中で向かい側に座っていた子が、奇声を発した。指をくわえて、かん高い声を発し続
けた。その子の周囲には誰も近付かなくなり座席の両側が空き、立っている人も離れ
てしまった。みんな遠くからチラチラ見ていた。ダウン症の、まだ小学生の男の子
だった。私は昔、施設にボランティアで行ったこともあるし、友人の知り合いにダウ
ン症の人がいたので、何度も会ったこと。みんな人なつっこく、優しい性格
だったから、その子も怖くはなかった。どうしたいのかは、分からないけれど、注意
を引きたい気もちがあるのは確かだろう、と思い実験をすることにした。「無視する
ではなく、含む」そして「まなざしは優しく」と、クラスで習ったことを思い出して
いた。その子と目が合った。するとその子は静かになった。
エゴグラム
クラスで、交流分析の話もあった。AWを続けていると、NP(優しい親)とA(アダルト)
とFC(自由な子供)の部分が上がってくると、いうことだった。その5・6年前、龍
谷大学(カウンセリングで出会った先生の授業)へモグリで行っていた時、交流分析
を少し習いエゴグラムを作成したのを思い出した。部屋を捜すと見つかった。質問表
をチェックし直し、エゴグラムを作り直した。聞いた通りの結果が出た。NP・A・FC
・が上がり、CP(厳しい親)とAC(適応した子供)は下がっていた。FCとACは完全に
逆転していた。AもFCも、倍くらいになっていた。NPは、以前も高いほうで、CPはも
ともと高くなかったが、やはり少しずつ変わっていた。エゴグラムの形がスッカリ変
化した。(次の来日の時、ブルース先生に見せた。「これでは、昔のあなたは生きる
のが大変だったでしょう」としみじみ言われた。)
その年のクラスで自分の中の
波を感じた。ゆったりした呼吸は、寄せては返す波のリズムにそっくりだった。